2011年7月31日日曜日

滞在五日目


滞在5日目 7月30日

今日も昨日に引き続き、日中は「海洋自然体験リーダー養成講座2011in三宅島」に行ってきました。







午前中は坪田にある「長太郎池」に行きました。ここは数十年前、今の三宅高校があるあたりからの噴火で流れ出た溶岩によってつくられたタイドプールで、外洋から守られているため小さな海の生き物の宝庫になっています。スノーケルで海を散歩しました。

深いところで1.8mほどしかないんですが、海の中にはウツボ、タカベ、チョウチョウウオ、スズメダイ、オヤビッチャ、ニシキベラ(たくさんいた)、カサゴ、ナマコ、アメフラシ(知らない人はぜひ調べてみてください)、ガンガゼなどなど、本当にたくさんの生き物が住んでいました。

(海中の写真がたくさんあるので、後日奈都さんからもらってアップします)


岩場にもカメノテ(味噌汁にすると美味しい!)


シマアサリ(食べられる)


フジツボ

シッタカガイ(これも食べられる)
あとカニなどなどたくさんの生き物が見られました。

ちょっと潜っただけでこれほどの生態系が見られるとは。いつまで見てても飽きないほど、たくさんの生き物がそれぞれの持ち場でそれぞれの生活を営んでいました。

またそのような海中の世界を、観光客と島の人達が交じって夢中で観察している様子がとても素敵でした。相手と向かい合って何かやろうとするとぎこちなくなる事がありますが、なにか共通でやっていることがあると、所属とか肌の色とかは関係なく自然にコミュニケーションができると思います。












このように海のなかも素晴らしいのですが、溶岩によってできた小さなランドスケープにも惹かれました。
以下は長太郎池の岩場ギャラリー




















溶岩はきめが細かくて、小さな穴なんかがたくさん空いてるので、スケール感覚を超えておおきな地形のように見える瞬間があります。


午後はみんなで船に乗って御蔵島の近くの海まで行って、イルカと一緒に泳ぎました。




先日の日記で三宅島でもドルフィンスイムができると書きましたが、正確には「三宅島でも、御蔵島の海までいってドルフィンスイムができるようになっている」でした。イルカさんはたくさんいて、僕たちと一緒に泳いで遊んでくれました。イルカさん達にはほとんど名前がついていて、体についた傷で判別するそうです。





僕たちの船の他にも5、6隻の船がいて、みんなこぞってイルカを探していました。
それぞれの船の船長さんが
「もっと右だ!!あ、後行った!うしろ!」
と海に入った人達を誘導していました。なんだかなあ。。
外国人のお客さんもいました。指導の方いわく、こういったイルカスポットは世界的にも珍しいらしいです。






夜は錆が浜に「第17回 マリンスコーレ21フェスティバル」に行きました。毎年(2000~2005年の全島避難中は中止)やっているお祭りで、たくさんの出店とステージが組まれて、郷土芸能、合唱、フラダンス、演歌などいろんなプログラムがありました。奈都さんは「島のみんなが集まる唯一のイベント」だと言っていました。





こういった地元盛り上がり系のお祭りでは多いパターンなのかもしれないですが、ステージ上のプログラムは「発表会」チックなものが多かったです。


これは「アカコッコ合唱団」という団体の発表会。三宅島、御蔵島、八丈島などから集まった有志の合唱団です。


福引きもありました。景品がねこ車や草刈り機など、島の特徴を表していて面白い。


出店は島の人たちがたくさん出展していて、とても盛り上がっていました。





滞在三日目の日記で紹介した「ムロッケ」と「うまかか棒」も売られていました。これがものすごく美味しかったです。ムロアジ
の肉がたっぷり詰まっていてジューシー!これはぜひ島外のみんなにも食べさせてあげたいと思いました。






祭の締めくくりは花火大会。1時間近くやっていてけっこう凄かったです。


ちなみに今日、移動用の自転車を借りる事ができました!

ルイガノの良いチャリ!とっても助かります!ありがとうございます!




たばこを使って撮った打ち上げ花火

おしまい
村上慧

滞在四日目

滞在四日目 7月29日

滞在初日の日記で紹介した、穴原甲一郎さん、奈都さんの主催する「海洋自然体験リーダー養成講座2011in三宅島」に行ってみました。

このプログラムについて、資料から抜粋します。

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海洋自然体験リーダー養成講座2011in三宅島
2011年7月29日(金)~8月1日(月) 四日間

近年、自然体験活動を指導するリーダーが様々な方面から求められています。~ただしリーダーには自然、特に海で活動する場合、海洋の知識と、技術指導力および、安全管理に関する知識が必要とされます。
三宅島では2000年の噴火以前には海洋生物学者ジャック・モイヤー博士(抜粋者注:三宅島で海洋生物の研究やイルカの観光産業化をすすめた人物として有名です。クマノミの性転換を発見した人物でもあります。)を中心として海の教育活動が行われてきました。噴火により一度途絶えてしまったその活動を継承し、次世代の海の体験活動指導者として、海洋産業の活性に貢献し、さらに次の世代へ継承していける人材の育成を目指し、本講座を実施いたします。~

認定登録:NPO法人オーシャンファミリー海洋自然体験センター 海洋自然体験初級リーダー認定
NPO法人自然体験活動推進協議会(CONE) 自然体験活動リーダー 登録
*CONE:各種の自然体験活動をしている団体の全国組織です。
☆☆☆☆☆

今日はプログラム初日で、参加者はまず三宅高校の視聴覚室でガイダンスを受けました。




自己紹介。A4の紙に名前、ニックネーム、所属、出身、海の原風景(絵)、海遊び歴、本講に対する期待と活用、そして自分の似顔絵を書いてそれをみせながら自己紹介します。これから四日間一緒にやっていくみんなと仲良くなるため、そして自分の考えを相手に伝える練習です。
参加者は、三宅高校の校長、その息子さん(東京在住?)、三宅島に初めて来たダイビングインストラクターの方、三宅高校の教師2人、群馬在住で保育専攻の大学1年生の方などでした。保育専攻の方は、2年前も同じ講座を受けて、今回も奈都さんに誘われて来たそうです。





次に、ちょっとしたゲームをしました。松ぼっくりを手に取ってまわしながら、「これが松ぼっくり以外の何に見えるか」を即座に答えて行くというものです。これはこどもを相手に海洋実習等しているときに自分の話に子供が興味をもたないと注意もなにも聞いてくれないので、それを避けるためのちょっとしたイメージトレーニングとのことです。こどもは何でもきいてくるので、なにか聞かれたらそれが分からなくてもその場で会話を弾ませないと自分の話に耳を傾けなくなるので、とりあえず会話を進めるためのトレーニングです。






これを終えてから松ぼっくりは水に浸かると閉じてしまうという話とその理由を教えてくれました。
雨の時に開いていると、種子が風に乗れずに地面に落ちてしまうため、濡れると種子が飛ばないように閉じるそうです。
この松ぼっくりの例をみると、おそらくこの講座の狙いのひとつは野外で森や原っぱや海や山を相手に遊んだ経験が少ない子供たちが野外に出るきっかけをつくる。そういう人材を育成する、ということかなと思います。





このあともうひとつゲームをやって(ペアになって片方が貝殻等をひとつ選び、実物を見せずに、いくつか特徴を言って同じものを相手にあてさせる、というもの)三宅島にある貝やフジツボなどをいくつか教えてもらいました。




これは鳥の鵜の足に似ていることからウノアシガイ




これはふたつともフジツボのですが、黒っぽい方は波のあたる岩の先端部分にいたもので、赤っぽい方は船の裏などについていたものだそうです。黒っぽい方は六角形の空洞がいくつもあって、ハニカム構造になっています。岩の保護色でこんな色になってます。赤っぽい方も保護色です。海の中では赤色は拡散して見えなくなるそうです。






午後は伊ヶ谷・大船戸湾に行ってスノーケリングの実習です。ウエットスーツの着方から


おもりの付け方、マスク(ゴーグル)の付け方、足ひれの付け方、足ひれを付けた状態での歩き方、準備運動、足ひれでの泳ぎ方、海中への潜り方、耳抜きの仕方等々、基本的なことが細かくレクチャーされました。

スノーケリングについてひと通り教わったあとは三宅島に住む海洋生物を見て回って実習終了です。

トラウツボ

下4枚は奈都さんたちが海中で撮った写真
(クマノミの写真)
クマノミ

(ハナミノカサゴの写真)
ハナミノカサゴ。背びれに毒があります。

(アカオニナマコ)
アカオニナマコ。精子を撒いてるところ

(イシガレイの写真)
イシガレイ。岩にはりついていて、どんなに近くに寄ってもぴくりとも動きませんでした。美味しそう。

三宅島大学はこういった講座を応用した講座のありかたも可能だなと思いました。「ミノカサゴの動き」実習とか。「ウツボの気持ちになってみる」実習とか。思いつきですが。陸の生物としての生きている私たちですが、たまには海の生物になった気持ちで何かやってみたり。ご飯食べてみたり、海中に家を作ってみたり。あるいは見立ててみたり。そして「陸上で生きているわたしたち」を改めて意識してみたりしたら面白いかなあと思いました。
とにかく三宅島は海も魅力的です。沖縄のように観光地化された「ビーチ」は三宅島には無く、ここの海水浴場は岩場がほとんどです。自然に残っている地形のまま、海水浴場と名付けられている感じです。ウツボやハナミノカサゴや先日紹介したカツオノエボシなどの危険生物がいくつも見られたのは衝撃でした。漁船「英丸」での話もあったように、海と人の生活のあいだに、自然な近さがあるという感じがしました。海という切り口があるという事を思い知らされました。

実習のあと高校に戻り、夜7時半まで座学がありました。明日は御蔵島の方まで行ってイルカと泳ぐとのことなので、明日も行ってみようと思いました。

おしまい

村上慧

2011年7月29日金曜日

滞在三日目

滞在三日目 7月28日

朝起きて、8時半ごろ食堂に降りて行くと三宅島商工会女性部のみなさんが30、31日に行われるお祭り「マリンスコーレ」の郷土料理コーナーで販売する料理の下ごしらえをしていました。


以前の「あしたばん」で特集されていた"大久保浜のサックスおじちゃん"の妹さんが居て、いろいろと教えてくれました。
いま作っているのマリンスコーレに毎年出しているもので、「うまかか棒」と「ムロッケ」と名付けられた料理でした。このようなイベント(トライアスロン、バイクレース、川越まつりなど)がある時は、毎回女性部の皆さんが駆り出されて料理を作るそうです。
「うまかか棒」というのはムロアジのすり身に人参、ゴボウ、レンコン(噴火以後島内であまり採れなくなった筍の代わり)と味噌を練って手のひらサイズにして揚げ、竹串に刺したもの。
「ムロッケ」というのは、ムロアジのすり身で作ったコロッケです。
数年前、川越祭にこれらの料理を出品する際に名付けたそうです。
去年まではところてんもやっていたみたいですが、今年は女性部の人手不足のため見送ったそうです。

これがムロアジのすり身。くさやのお店で作っているものです。





まずはこれをよくこねて味噌を混ぜます





この作業ぼくもやらせてもらったんですが、すり身が冷蔵庫に入っていたため、とても冷たくて手の感覚がなくなってしまいました。見た以上にきつい仕事です。冬場は手を温めながらやるみたいです。

ごぼう




にんじん


レンコン



これらを混ぜてこねます。




まぜおわったら重さを量りながら手に取り、形を整えて並べて行きます。





そしてこれを揚げればうまかか棒の完成です。






これらの作業が終わる頃には12時近くになっていました。みんなでお昼ご飯を食べました。


このとき女性部の方が避難中の生活について話をしてくれました。
彼女は避難中国立に住んでいたらしく、僕の出身校であるムサビの場所も知っていました。国立には70世帯くらいいた。都内で他には桐ヶ丘、港南、高砂、竹の塚、南大沢、立川、府中などに散らばって生活していたそうです。ほとんどの人は都が用意した都営住宅に住んでいました。
噴火してからの東京都の対応は手早く、みんな割とすぐに避難先が決まり、三宅に居るうちから避難先が決まった人も居て、そういう人は荷物を先に送っていました。
避難先での仕事も東京都がかなり探してくれた、とのことです。また冷蔵庫、洗濯機、テレビ、エアコン、電気釜、下着、鍋、ドライヤー、ヤカン等も用意されたそうです。
避難先に支援センターが作られたところもあってそこに行けば三宅島の情報が手に入り「三宅の風」というペーパーがファックスで送られてきて、そこからも知れたそうです。
島民が全員近いところに移住できればもっとよかったんだろうけど、逆に何カ所かに散ったことによって、それぞれが知り合いをつくって、それをみんな紹介しあって人のつながりができた、というメリットもあったそうです。

「今回の震災は(自分たちと重なる部分があるけど)、規模が全然違うからねえ」とその方は話していました。

当然の事だったんですが、この話を聞いてぼくは「避難」するだけで済むわけが無く、その先に生活があったんだなあと気付きました。
「島での生活→噴火→避難(移住)→本土での生活→帰島(島での生活の再構築)」という流れを島民ほぼ全員が経験しているのです。これは面白い話をそれぞれの人がたくさん持ってるに違いないと思いました。
それぞれ本土でどういった5年間の生活があったのか、とても気になるところです。こういう話は島民同士の日常会話では(特に帰島当時はたくさん)なされたと思いますが、島外から来た僕も聞いてみたいと思いました。避難中の生活だけではなく、島での生活の話も含めたそれぞれの物語が聞けるような、座談会のような場を、昨日の日記で述べた「生活のプラットフォーム "家"」の中で設けられたら面白いと思います。


あと、今日は坪田の理容室「髪や」で髪の毛をきりました。
before



















after


だいぶさっぱりしました。

村上慧